やめかんブログ

価値のあることだけが、「豊かな時間」の使い方じゃない。

どうも、Dスケです。

 

自宅作業している以外、悠々自適な時間を過ごしている現在、いい意味でも悪い意味でも時間が有り余っていて、若干ソワソワしております。

十分な収入があるわけではないのですが、あえて時間は無駄に残しつつ、今はインプットする時間に費やす日々。

Twitterみてると、不思議と時間たつのが危険です。気を付けないと。

 

この「暇を持て余す」のを上手に受け入れるのって、非常に難しいなと感じます。時間がたくさんあると、ついダラダラしてしまいがちだし、逆に不安になって必要以上に予定を入れたくなったりするし、その時々で不安定感が露呈します。

時間がある、とはなんて贅沢な。って感じですが、使い方を考えさせられます。

 

思えば会社員時代、土日どっちもフリーの時にも、有益なインプットができていたかというとそうでもなく。映画を観たり本を読むこともありましたが、「うん、よかった」「うん、悪かった」で終わってしまっていることも多い。

感想を書く、という小学生の頃に当たり前にやっていたことは、大人になると意外とできない。そもそも披露する機会がないから、意識的にやってないとどんどん言語化できなくなる。そう振り返ってみると、読書感想文なんかは大事な訓練だったのかなと改めて思います。

昨年からブログを書くようになって、アウトプットすることの重要性を感じられるようになったのは学びの一つです。

 

同時に、時間があるからこそ、無駄なことに時間を使う、ことも大切なのかなと感じます。

これ、相反する話でうまく説明できないのですが、一見価値のないと思えることにも時間を使うのも、人生を豊かにすることに繋がるということ。

例えばそれは、気心のしれた仲間と過ごす時間かもしれませんし、他人に理解されない趣味に没頭することかもしれませんし、ふと思いつきで行動したり出掛けたりすることかもしれません。

 

僕でいえば最近、思いつきで牛久大仏JAXAを見るために発作のように出掛けましたが、たぶんこれもあまり価値を生みそうにないけれど、いつか弾丸で行った日のことを誰かに楽しく話せるかもしれない。

そういうことができるのも、時間があるからなんですよね。無駄かもしれないけど。

それはそれで僕自身は楽しいし、行って良かったなと思えるので、そういう時間を増やすことも大切だと思えるんです。

 

そしてブログなら、無駄な「体験」だって価値に変わる可能性もあるし、その意味でもアウトプットはさらに大切。

 

唐突ですが、遅ればせながら、映画『海街diary』を観ました。

穏やかな時間が全編通して流れる、非常に良質な映画でした。ちょっとした役なのに結構な有名俳優さんが沢山出ていて、ストーリー以上に豪華な作品。おすすめです。

その舞台でもある鎌倉の古い一軒家で、4姉妹が縁側でおそば食べたり、庭にある梅の実をとって梅酒を漬けたりするんです。

梅酒は毎年つくっていて、これは去年の、これは一昨年の、これはおばあちゃんが漬けた10年もの、って。

きっとこれは彼女たちにしか分からない価値だけど、どんな高級な梅で漬けた梅酒より大切なもの。縁側でそばをすすった記憶もそう。何にも代えがたい、大切な時間です。

なんだかとてもとても贅沢で、有意義な時間の過ごし方だなぁと思っちゃいました。(ストーリーの本筋と違う着目点ですいません)

 

他人からみて一見無価値のように思える時間や行為に、その周囲の人にしか分からない豊かで、プライスレスな価値が宿ることだってある。

時間があるからこそ、価値を生み出すことと、そうでなくとも楽しいこと、両方やっていければなと思う暇人です。

ではでは。

 

 

 

Dスケ