やめかんブログ

「引っ越し」は、手元にあるものとないものを整理する。

どうも、Dスケです。

 

私事ですが、5月末に引っ越しを控えており、現在そのための荷造り、不用品の処分など、一人でてんやわんやです。

現在住んでいるアパートには7年も住んでいて(というと皆にビックリされますが)、7年分の思い出やホコリやカビなんかが溜まりに溜まっています。さすがに見て見ぬふりはもうできず、感謝を込めながら作業しているところです。

 

しみじみ思いますが、会社員やりながら合間に引っ越すなんて、絶対無理ですね。。。やってる人すごいなと。

今フリーで引っ越そうと思ってもウンザリする作業だらけなので、平日疲れて仕事から帰ってきて、それから荷造りに取り組むとか…ゾッとする。会社辞めてる時期で良かった。

 

単に「引っ越ししてます」という話をしたい訳ではないのですが、引っ越しあるあるとして「昔の思い出の品などが出てきて作業が止まる」というやつ。

僕もご多分に漏れず、思い出の品がどんどん発掘されていて、少しは浸ったりすることもあるんですが、それ以上に”思い出せない思い出の品”が多いこと多いこと。

写真が出てくると顔は覚えているけど名前が思い出せないとか、何の集まりのときに撮ったのか分からないとか、もはやいつの時にもらった記念品なのか手紙なのか思い出せない始末。

そんなわけで、現在ばっしばしとその思い出の品たちを捨てている最中です(思い当たる人ごめんなさい)。

 

元々、記憶が長く続かないタイプではあります。

まずは先ほども出てきた「人の名前が記憶し続けられない」。「覚えられない」のではなく、「覚えても忘れるのが早い」です。

むしろ、最初に覚えるのは得意なほう。同期で仕事に入った人については、誰よりも早く覚えられる自信がある。

覚えるのが早く、そして忘れるのも早い。失礼な話です。

 

あとは、子供のころの記憶が薄い。小学校くらいまでは、何していたのかほとんど思い出せません。

たぶん人並みに勉強して、人並みには運動できなくて、人並みにはいじめられたりしてて、人並みに可愛いコに心奪われてたんだとは思うんですが。

覚えてることは、給食の時間におかずのお椀を落としてクラス全員の注目を集めてしまった羞恥と、滅多にケンカするようなタイプじゃないのに取っ組み合いのケンカを一度だけしてしまった羞恥くらい。

ほんと、イヤなことだけは、今でも鮮明に記憶している。

でもそれ以外は、親に旅行に連れていってもらった場所も、親戚で集まったときのメンツも、学校行事でやったことも、ほぼ記憶にありません。

 

「一生懸命生きていれば、いついつのアレって思い出せるやん!」って言われそうですが、僕はこういうタイプです。ずっと覚えておくことができない、人間的にダメなタイプ。

「あの時、あーいうことしたじゃん!」と言われても、ほとんど話が噛み合わない。というか「あーアレね」的に合わせております。

父にも母にも昔の話をされますが、なかなか覚えてない僕には話しても手応えがなく、寂しい思いをさせているでしょう。

まぁ人それぞれなので、僕はもう開き直ってしまってますが。

 

結局、モノを持っていても、それは物質を持っているだけで、本質を持っているわけじゃないんだなと感じます。普段から矜持にして、無意識に手に取っていないものは、すでに「僕の持ち物」じゃない。

いつか死ぬときに思い出すのが、給食の時間の羞恥でも、ケンカの時の羞恥でも、何もなくても思い出すってことは、そういうことなのかなと思うわけです。

それが結局、今の自分にあるもの。そんな気がします。

 

そんな思い出せない僕ですが、さすがに今リアルタイムで接してくれる先輩・後輩・友人はしっかりと覚えていて、というか意識しなくても近くにいてくれて。

そういう手の届く範囲の人や事柄についてだけは、一生懸命でいたいし、感謝しなくてはなぁ。

引っ越しは、「手元にあるものを捨てる」からこそ、「今、手元に残っているものを見つめ直す」いい機会だなと思います。

 

そんなこと言ってないで、荷造りしなきゃですが。

ではでは。

 

 

 

Dスケ