長めのつぶやき

好きな「プラスの言葉」を持つことで、心はきっと生きやすくなる。

どうも、Dスケです。10日ぶりの更新、いかんいかん…

 

今回のブログは、最近僕が意識して言うようにしている、「口癖」について少し。

それは誰かを褒めるときや、自分で感想を述べるとき。

なるべく「素敵」というワードをつかいたい、というもの。※ひらがな・カタカナ表記も可。すてきもステキも、素敵。

以前から無意識に思ってはいたんですが、最近になってさらに強く意識して言葉にするようになりました。

 

「素敵」ってコトバ、よくないですか?(語彙力)

外見を褒める言葉や、内面を褒める言葉はそれこそ沢山あるけれど、「綺麗」「可愛い」「カッコイイ」は場面によって薄っぺらくなるし、内面を褒める場合は逆に説明っぽくてクドくなっちゃう。「優しい」とか、褒めてなかったりするしねw

それに対する「素敵」の汎用性の高さよ。

外見を褒める際にも直接的すぎずにつかえるし、もちろん内面にもちょうどよい距離感で寄り添ってくれる感じがあります。

他の褒め言葉は受け取る人によって「ウソ臭い」とか「とんでもない」とか猜疑心や謙遜を生んでしまうこともあるけど、「素敵だね」と言われて嫌な気持ちになる人、まずいない気がする。まぁ、少しキザっぽいけど。

不思議なコトバだなぁと思っている訳です。

 

ありきたりですが、Google先生で「素敵」の意味を検索してみると、

だそうで、あまり「優れる」という意図は昨今感じない気はしますが、「印象が、すぐれている」という意味合いでしょうか。それなら分かるなぁ。

そう、「素敵」とは、受ける印象がいいことを表す言葉だから、さきほどあった外見にも内面にも使える。まさに汎用。

では、もう少し深堀りして、「印象」ってなんだろう?

 

自分なりに考えてみて、どういうときに「素敵」を使ってるかを思い返すと、「印象」という言葉の輪郭が見えてくるような気がしました。

  • いつも笑顔が素敵だね。
  • 今日の服装、似合ってて素敵だね。
  • 今回のイベント、素敵な雰囲気だね。
  • その考え方、素敵だね。
  • そういう優しいところ、素敵だと思うよ。
    ※さっき出た「優しい」も、「素敵」と組み合わせると素直な褒め言葉に聞こえるね。

書き出してみると、結果に対してつかうものではなく、良い意味の「継続」や「状態」に対してつかってるんです。

だから、「今月の売り上げ、素敵だね」とか、「テストの点数、素敵だね」とか数値や相対値にたいしては、当然だけどつかわないw

その人が経験や努力から得たもの、選択したこと、それらの「最初から現在まで」を「印象」としてとらえ、それを賞賛するのが「素敵」という言葉なのかなと。※個人的見解です

なんだか変にこねくり回した論理ですいません。

 

そういう「印象」を褒めるのが「素敵」の特長であるのと合わせて、もう一つ感じていること。

それは、「価値観の共感」が褒めるポイントだから良いんじゃないかなと。

例えば、洋服なんかは誰が着ても良いものは良い、悪いものは悪いと簡単に考えがちですが、それを「素敵」と褒めるときは、着てる本人に合っているから。そして、それを似合ってると感じる僕がいるから。

考え方や思想についても同じく、その人らしさがあって、それが自分にとっても同じ価値観であったり、尊敬できる価値観であったときに、その共感を伝える言葉が「素敵」の本質なんです。

僕と同じこと考えてるからイイネ、というおこがましいさではなく、貴方が良いと思って体現したり選択したことは、きっと僕もそうであったらいいなと感じることであり、その気持ちを少しでも伝えたいという思いが、僕にとって「素敵」という表現になる瞬間。

うん、書きながら深く考えていくと、そんな結論に辿り着きました。

 

とはいえ、さっき少し書いたように、キザに聞こえることもあるので、普段はあまり口にしてないんですが、意識するようになったのはこうやってブログやツイッターで文字として認識し出してからです。

温かい文章に触れたとき、優しい考え方に触れたとき、綺麗な写真、カッコいいグラフィック、子どもの声が響き渡る動画を目にしたとき、どうしても感じた想いを伝えたくて、僕は「素敵」とつかうようになりました。

意識してつかうようになると、これも面白いですが、自分も「素敵と言われるようになりたい」と考えるようになってきたり、他人の素敵なところを見つけたいと思うようになるし、自然と「素敵だなぁ」と思える言葉、事象を呼び寄せてる気がする。言霊ってやつかな?

ポジティブな言葉を矜持として持っておくことって、大切だなぁと思います。

結構ね、オススメです。素敵も、つかっていいよw

 

ちょっと脱線っぽい話になりますが、日々SNSを見ていると、いつもどこかで、顔も合わせたことのない人同士が、言葉尻だけを捕まえ捕まえられて、批判して、中傷して、お互い傷ついたまま別れていく(ブロックして終わる)のをよく目にします。

実りある議論であったり、互いの考えを尊重した応酬ならいいのですが、打ち負かそう、言いくるめてやろうという魂胆の下では、それはもはや言葉による戦争でしかなく、なんだか見ていて悲しい。

みんな対面だと絶対に言わないのにね。顔も名前も分からないと、自意識も肥大化するのでしょうか。

自分の意見を発信することも大事だけど、同じくらい誰かの考えも尊重して、適度な距離感を保って、「みんなちがって、みんないい」になるといいなと思うんです。

そしてそういうときに、「素敵」みたいなプラスの言葉をベースに生きられると、それぞれがそれぞれのポジティブな領域で楽しめる気がするんですよね。

などと、書きながらふとよぎったことを、付け加えてみました。

 

僕みたいな誰も知らんやつのコラムっぽい記事にしては、少々長くなりました。

ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。

個人的には、今日まで3本ほど記事をボツにしたので、ようやく最後まで書き切れてホッと胸をなでおろしている次第です。

ではでは。

 

 

 

Dスケ